大学時代の恩師を偲ぶ会に参加をしてきて思うこと。過去を振り返ることと未来を想像すること。

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大学のキャンパス

みなさん、こんにちは。

お久しぶりの妻ママ仮面よ。

今日は久しぶりに自分の学生時代のことを思い出したから、思わず感傷にひたってしまってブログを書いているわ。

ふとした隙間時間に読んでもらえたらうれしいわ。

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大学時代に大好きだった先生の突然の訃報

それは2017年12月12日の夜のことでした。突然電話が鳴ったと思ったら、大学時代の友人からの着信。

電話に出るなり聞こえてきた言葉は、「〇〇先生、亡くなったって!」

その先生は、とにかくいつも元気で楽しそうで、とにかく自分の好きなことに邁進している、大学教授にしては珍しいくらいの自由人。

大学の講義中に、学生たちが食べ物を飲んだり食べたりしていても

「ノドが乾いて集中できなかったりするくらいなら、どんどん飲んでください。」
「お腹がすいていては、聞けるものも聞けませんから、まず食べて落ち着いた精神状態になりましょう」と言って、寛容に見守ってくれていたり

学生時代には、講義なんかよりも大切なことがたくさんあります。自分にとって、講義よりも大切なことだ!と思うことがあれば、遠慮なくお休みしていただいて結構なので、ご自分の人生にとって大切なことを優先してくださいね」とサラリと言えてしまったり、そんなフラットな視点をもっている先生でした。

大学時代の先生の活躍と、それによって蘇る友人たちとの絆

その先生は、性格的におもしろいことは去ることながら、大学での研究内容もおもしろく、占いなどの研究をしていました。

その内容がよかったのか、最近ではTVに出演する機会も増えており、直近では『ほんまでっかTV』への出演も果たしていたのです。

『ほんまでっかTV』とは、明石家さんまさんがメイン司会者を務める番組で、いろんな分野の研究をしている大学教授たちが集まって、あーでもないこーでもないと議論を戦わせながら「ほんまかいな」と思うようなことを楽しく教えてくれるという、勉強になる要素も強いバラエティー番組。

あるとき、ふとつけたTVに先生の姿を見つけたときは、あまりの驚きに同級生たちが「TV見た!?」「〇〇先生が映ってる!!!」と興奮したLINEを送りあったものです。

この「先生のTV出演」をきっかけに、いくつかの友人同士のやりとりが復活することになりました。

亡くなったときに問われる、その人の本当の真価。残したものの大きさ

今回、友人からの突然の連絡によって、その恩師を偲ぶ会へと参加することにしたのですが、実は同級生たちと一堂に会するのは、もう15年以来のことです。大学を卒業してから今まで、既に15年もの月日が流れていたのでした。

大学院に通っていたり、他学年に友人がいたり、大学関係で働いている子たちにとっては、卒業後も大学と接点があるかも知れませんが、そうでない人たちにとっては、大学は卒業してしまうと、なかなか改めて足を運んだりすることはないです。

なので、卒業してからの大学の様子を知っているのは、友人の中でもほんの一人、二人。そして持っている情報といってもそれはそれはわずかなものでした。

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15年ぶりの再会。その中で交わされる会話の中に、先生の姿が蘇る

ほとんど共通の話題を持ち合わせていない私たちが話すのは、15年前に一緒に過ごしていたころの話。先生を含む思い出話がメインになるのは明らかですよね。

あの頃、先生と話していたこと。講義中に起こったこと。学校祭でやったこと。
それらの話をしている中で、みんなの中に残っている先生像がだんだんと浮かびあがってきます。

この「思い出話」をしているうちに、私自身はかつて先生に言われた言葉が、自分の中に強く残っていたことに気が付いたのです。

先生が私に残してくれた言葉

かつて先生に言われた言葉の中で、よく覚えている言葉があります。それは・・・

「人には、やりたいこと、やってみたいことがいくつも出てきます。どれかを選択すると、その他のものは捨てることになります。

けれど、一度『やってみたい』と思ったことは、将来別の道に進んでいたとしても、時折心によぎることがあります。『もしも、あっちの道に進んでいたら、今頃どうなっていたんだろう?』って。

だから、一度でも『やってみたい』と思ったことは、早めにやってしまいましょう。そうしないと、もうどうしたってやり直しがきかないような年齢になってから、突然『やっぱりあっちの道の方がよかったかも知れない!』と言って、突然道を踏み外してしまう可能性がありますから。

やりたいことは、早めにやってしまいましょう。それがうまく生きる秘訣です。」

この言葉が、真実かどうかは、自分で確かめてみる他はありません。

けれど、当時の先生が、当時の私をみて「この子にはこの言葉が必要かも知れない」と思って投げてくれた言葉です。そして、その言葉は15年経った今でも私の中に残っている。

こんな風にして、先生ご自身は亡くなってしまったとしても、確実に私の中に大切なことをいくつも残していってくれていたことに改めて気が付いたのです。

先生の死を通して、自分の生を強烈に意識する。後悔せずに生きるために、今の私ができること

私が大好きだったこの先生は、とにかく自由で気ままな人(のように私の目には映っていました)。私からしたら、もっとも「死」から遠いところにいるような、そんな人だったのです。

その先生が突然いなくなったと聞いて、私はただただショックでした。そして、ただただそれを受け入れられずにいます。

人の人生には「いつか、また」はあるようでないこともある。必ずしも「また」は存在しないんだなということをかみしめています。

「明日、また」が叶わなかったとしても、後悔しない生き方ができているか?

もしも「明日、また」が叶わなかったとしても、後悔しないような生き方を私はできているのだろうか?
無意識に「明日、また」がきて当然と思っていないだろうか?・・・思ってる。少しも疑わず、今日と同じ明日がくると信じて生きています。

そう信じられることはとてもステキなことだけれど、突然その「生」が失われたとしても、後悔せずに済むように、自分の望む未来に紐づいた今を生きていきたいなと強く思ったのでした。

まとめ

人の「死」に直面すると、改めて自分の「生」について考えます。そして、亡くなった方が残したものは何かについてついつい考えてしまうんです。

自分は一体、なにを残せるだろう?何を大切だと思っているんだろう?

先生が最後に残してくれた究極の課題について考えながら、今日は眠りにつきたいと思います。

今回は、なんだかしんみりした記事になってしまいましたが、次回は明るくポップなお家ネタを書けたらいいなと思っていますよ~♪♪

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